パパの育休はキャリアに傷がつく? 育休を取れなかった男の話
男が育休なんてありえない! もう少しキャリアってものについて真剣に考えなさい!!
2011年8月、当時入社3年目の若手社員だったわたしが上司に言われた言葉です。
今回は2017年の第三子誕生を機に待望の育児休業を取得した私が、育休取得に至るまでの道のりとパパの育休と働き方について思うことを記録します。
「育休取りたい!でも仕事が、、、」って踏ん切りがつかないパパ、夫に育休取ってもらいたいママにぜひ読んでもらいたいです!
イクメン元年
この記事を書いている2017年10月現在、まだまだ男性の育児休業取得は一般的とは言えません。
そこから遡ること7年、2010年は改正育児・介護休業法が成立、「パパ・ママ育休プラス」制度が導入されパパの育休が社会制度として用意され始めた年でした。
「イクメン元年」なんて呼ぶ人もいるみたいですね。
個人的には、大学の先輩(男・当時31歳)がちょうどこの頃に第一子を授かり、育休を取りました。
その様子がとても楽しそうだったので、わたしも子育てや育休に興味を持つようになります。
ちなみにその先輩のブログはこちら。(現在、更新は止まっています)
その後間もなくして、今度はわたしの妻が妊娠。
漠然と「育休とりたいな。でもうちの会社じゃ厳しいなー」と感じていました。
当時入社2年目、わたしが26歳の時でした。
長男の誕生と育休申請
それから十月十日が過ぎた横浜のとある産院、無事長男が誕生しました。
20時間に及ぶ出産でしたが母子ともに健康、2,740gの男の子でした。
しかし、直後アクシデントが発生します。
妻が貧血からくるめまいで分娩台から落下、利き手の鎖骨を骨折してしまったのでした。
(これから産む妊婦さんは気をつけてください! 本当に。)
もちろん骨折自体そうとう痛かったはずですが、メンタルはそれ以上に痛んだようです。
妊娠の発覚から10ヶ月、ずっと楽しみにしてきた我が子を自力で抱っこすることもできないのですから無理もありません。
生まれたての我が子を抱けない

見舞いに来たジジババですらヒョイヒョイ抱っこしているのに。。(涙)
つわりも陣痛も骨折も何一つ経験していないわたしが、この時の妻の気持ちを完全に理解することはできません。
でも待望の長男誕生直後なのに辛そうな妻を見てこちらも心が痛みました。
しかも、骨折の影響は妻のメンタルだけにとどまりません。
抱っこができなければ授乳もできませんし、片手ではオムツ替えも沐浴もままなりません。
誰かのサポートが必要なことは明らかでした。
自分の妻と息子ですから、当然わたしが支えるものと疑っていませんでした。
あの日、冒頭の上司の言葉を聞くまでは。
育休申請に対する上司の反応
誰かのサポートが必要な現状と「ケガの状態に目処がつくまでの3ヶ月間ほど、育休を取らせて欲しい」旨をなるたけ丁寧に上司に伝えました。
その答えが冒頭の
男が育休なんてありえない! もう少しキャリアってものについて真剣に考えなさい!!
です。
正直、愕然としました。
家族のために働いているはずなのに、その仕事のせいで家族が辛い時に一緒にいられないなんて、ひどい矛盾です。
彼はさらにこう続けました
ビジネスパーソンとして成功したいなら、仕事にプライベートを持ち込んではいけない。
仕事とプライベート、どちらが大事かよく考えて決めなさい。多くの社会人はこの点をはっきりさせず、うやむやにしたまま働いている。奥さんが仕事を辞めて君は仕事に専念するべきだと個人的には思う。奥さんとよく話し合いなさい。
当時の上司は一言で表すなら「一見とても優秀な人」でした。
若手だったわたしは彼を頭のキレる優秀なビジネスパーソンだと思っていました。
実際、彼を一人のプログラマーとして見たなら、彼以上の人材は社内にいないかもしれません。
ただし、マネージャーとしては並でした。と、今では思います。
多様性を認めず威圧的な態度で部下を萎縮させ、周囲の部署と軋轢を生む人が優秀なマネージャーなわけないですよね。
できるマネージャーにはモチベーターの素養が欠かせません。
育休が取れない! どう対応する?
結局、当時のわたしは育休を諦めざるを得ませんでした。
社会人2年目の若造には、上司の言葉が会社の対応の全てだったのです。
当時よりも社会に揉まれ自分の人生と真摯に向かい合っている今ならば、もっと他にやり方があったとわかります。
例えば、
- 上司のさらに上司に相談してみる
- 人事に相談してみる
- 「育休は法律で認められた権利だから」と押し通す
などなど。押し通した後は職場に居づらくなるかもしれませんが、なにも今いる組織が唯一の生きる道ではありません。社内で別の部署へ異動するもよし、転職するもよし、です。
こんな簡単なことも当時はわかっていなかった。
未熟でした。
結局私を一人横浜に残し、妻は生後間もない息子と一緒にわたしの実家のある札幌へ。
生後間もない新生児を飛行機に乗せての大移動です。
思えば無理をしたものですが、当時は他に頼れる人がいなかったので仕方ありませんでした。
その後2ヶ月間、妻と息子は札幌の実家に居候することになりました。
うちの嫁姑の関係はかなり良好な方と自認していますが、それでも産後間もない妻にとって義実家での2ヶ月は大きな負担だったようです。
わたしにとっても妻不在の2ヶ月は色々思うことがありました。
本当に男の育休はありえないのか?
妻不在の2ヶ月間、上司に言われた通り自身の”キャリア”について真剣に考えました。
仕事とプライベート、どちらが大切か?
プライベート。考えるまでもない。
わたしは家族・自分の生活と楽しみのために働いています。
「仕事を通した自己実現」とか考えたこともないし、ましてや会社や上司のために働いているわけでもありません。
ビジネスパーソンとして成功したいのか?
別にしたくない。
上司が何をもって”成功”と言ったのか、今となってはわかりませんが「出世」とか「仕事のやりがい」とかを指していたと思います。
正直なところ昇給は嬉しいが昇格は全く嬉しくありません。
周りの管理職を見るにつけ、その責任や仕事量と報酬が釣り合っているようには到底思えないので。
妻は主婦になって夫は仕事に専念すべきか?
すべきでない。経済的には共働きが合理的。
先の上司からの忠告の中でわたしが最も引っかかったのがこの部分。
当時わたしの妻は社会人4年目で350万円ほどの年収がありました。
仮に妻が専業主婦になってわたしが仕事に専念したとして、この350万円分昇給するのにどれだけの時間と家族の我慢が必要なのか、全く計り知れません。
どう考えても夫婦二人で稼いだ方が効率いいです。
「世界でも有数の人件費が高い国・日本で専業主婦をすることはとても贅沢なこと」なのです。
そもそも「奥さん仕事辞めた方がいい」なんて上司に言われる筋合いないと思いませんか? しかも彼自身は子育てどころか結婚すらしたことがないんです!
キャリアってなんだ?
「キャリア」が単なる「経歴」や「出世」のことだとするなら、わたしにとってそれにはほとんど意味がありません。
一方、それが働くことにまつわる「生き方」そのものを指しているのなら深く考える価値がありそうです。
恥ずかしながら、わたしは長男が生まれ育休を取ろうと思うまで、自分の人生というものを真剣に考えたことがありませんでした。
きっかけをくれた長男と妻には本当に感謝しています。
第三子誕生、念願の育休取得へ
2011年の長男誕生から6年の歳月が経ちました。
あと半年もすれば小学生です。
この間、次男が生まれたり家を買ったり、異動を希望して先の上司の元を去ったり、色々なイベントがありました。
そしてキャリアについてより深く考えるようになりました。
真剣に考えれば考えるほど、社会に対する息苦しさを感じるようになりました。
真剣に考えれば考えるほど、もっと自由になりたいと思うようになりました。
(その辺の経緯について、詳しく知りたい方は自己紹介をご覧ください。)
そして今、第三子の誕生を機に念願の育休を取得することができました!
期間は1年半。
もちろん今回の出産で妻は骨折していません。
キャリアにつて真剣に考えて、自分と家族にとってプラスになると判断しての育休です。
今回の育休の目的は以下の3つ。
- 出産前後の妻をサポートすること
- 家族だけの時間を楽しむこと
- 投資・お金についてもっと勉強し、現在の仕事以外の収入源を作ること
育休中は雇用保険から育児休業給付金がもらえます。
お金について心配することがなく、これまで仕事に当てていた時間が丸っと空くのです。
もちろん子育てが第一義ですが、キャリアについて考えたり学んだりするきっかけにもなるでしょう。
まとめ 「キャリアに傷がつく」という警告は本当か?
「キャリア」という言葉を、働くことにまつわる「生き方」そのものととらえた場合、育休はキャリアの大きなプラスになるはずです。
長い人生の中でしばし仕事から離れ、家族や自分の人生と向き合う機会は貴重だからです。
1年半後、わたしの育休が終わる頃もう一度この記事を読み返しこの点を振り返ってみたいと思います。
一方「キャリア」を単に職歴や出世、生涯年収ととらえた場合、育休はキャリアの空白期間にしかならないかもしれません。
わたしの場合で言えば、今回の1年半の育休が社内でのわたしの評価にどう影響するのか、自分でも今は計れていません。
ただし、先に述べた通り、自分の人生について真摯に向き合う過程で「なにも今いる組織が唯一の自分の生きる道ではない。社内で別の部署へ異動するもよし、転職するもよし」という答えが出ています。
最後に一つ、職歴を重視しているであろう当時の上司が現在どうなっているかを参考までにお伝えします。
当時ソフトウェア開発の先端を担うエース課長だった彼は、現在新規性に乏しいメンテナンス部門の部長職に昇格しました。
相変わらず部下には畏れられているようですが、周囲と関わりの少ない部署なので噂を聞くことも少なくなりました。
役職やサラリーの面で、彼は社内で一定の成功を収めたと言えると思います。
ただ、エンジニアとしては少々寂しいエンディングを迎えることになりそうです。
彼の理想とするキャリアというものがどんなものなのか、うかがい知ることはできません。
このテーマについては思うところがありすぎて少し長くなってしまいました。
「このブログを読んで育休とりたくなりました」なんて人がいたらすごく嬉しいです。
ではでは。
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